本記事はnwiizoさんのブログに刺激を受けて書きました。
素晴らしいブログで、見習いたいと思う点がいくつもありました。ご興味を持たれた方は下記リンクからご覧ください。
20代になる時、20代になることへの期待が9割9分、10代が終わることへの心残りが1分くらいの割合で「ああ、10代が終わっちゃうわぁ」と言っていたのを覚えています。言葉とは裏腹に未来へのワクワク感でいっぱいでした。しかし、30代になるにあたって、当時のようなワクワク感で「ああ20代終わっちゃうわぁ」とは言えません。あの頃ような未来への期待や希望はほとんどありません。ただ、絶望しているかというとそういうわけではないです。例えるなら凪のような感情です。なぜこのような感情になっているか考えてみたのですが、それはきっと、これからやりたいことや向かうべき方向性といった指針が定まっているからだと思い至りました。20代になる時にはそんなもの全くなかったので、未来への期待で胸がいっぱいだったのでしょう(どちらが良い悪いはないと思います)。
この記事では、そんな指針のようなものを作れた20代で知って良かったことやわかったことをまとめました。
何の参考にもならないかもしれませんが、少しでも琴線に触れる部分があれば幸いです。
本記事の内容は筆者個人の見解・体験に基づくものであり、所属する組織・団体・企業等の公式見解や方針を示すものではありません。記載された意見や主張は、筆者個人に帰属するものです。
目次
心身ともに健康で生きることが何よりも大切だと思います。体調を崩して私だけ苦しむならともかく、周囲の人に迷惑をかけてしまうからです。例えば、看病や介護が必要になったとしましょう。その時、周りの人はどれだけ私に対して労力を割くことになるでしょうか。どれだけ悲しい気持ちにさせてしまうでしょうか。
ですので、自分の心身を大切にし、健康でいるために取り組むのは義務だと考えています。自分を大切にするということは、周りの人を大切にすることと同義なのです。
基本的なことですが、早寝早起き、バランスの良い食事、適度な運動が大事です。ただ、たまにはこれらの取り組みから一歩引いて、お酒やジャンキーなものを好きなだけ飲んだり食べたりしても良いと思います。ストイックに突き詰めすぎると心が不健康になってしまうはずだからです。自分にとっての楽しみを0にして、体の健康だけを追い求めるのはナンセンスですし、心の健康を損なってしまうでしょう。
心と体の両方の健康を保つバランス感覚が大切だと思います。
わからないことがあれば「わからない。教えてほしい」と言う。他者の成功や成長を喜び祝福する。見栄を張らない。
素直でいるのは、簡単なようで難しいことです。これまで何度も素直な人が成長し活躍する姿をみてきました。また、素直な人の周りには不思議と人が集まります。このことから私は、素直さは生きていく上で非常に重要な要素であるが、誰もが持っているものでもないのではないかと思いました。
素直さについて書いてきましたが、素直さが大事と言っている時点で、素直な人たちに追いつくことはできないと思っています。素直な人たちは無意識で素直で、四六時中素直だからです。そんな人たちに、「素直になろう」と考えている私が追いつけるはずがありません。ただ、追いつけないからと言って、素直になろうとしなくて良いわけではありません。これからも素直でい続ける努力をしていきます。
多くの経営者が口を揃えて言うように、成果を出すためには、すでに成果を出している人のマネをするのが最重要です。私自身、成果を出すために本や著名な方のブログを読んで試行錯誤しましたが、人のマネをするのが成果を出すための最短距離だったと実感しています。特に初めての仕事をする時にオリジナリティなど不要です。うまくいっている上司や先輩の一挙手一投足を完コピするのです。それは決して悪いことではありません。上司先輩はマネをすることの重要性を認識しているので、マネをしているだけで評価されます。また、うまくいっているやり方と同じことをしているので、うまくいく確率は自ずと上がります。
では、具体的にどこをマネすれば良いかですが、
・文章構成
・口癖
・回答しづらい質問への対応
・身振り手振り
・声の抑揚
・表情
このあたりだと思います。マネは守破離で言うところの守にあたりますが、守ができなくては破も離もありません。
成果が出ずに悩んでいる時は、まず最初にちゃんとマネできているかをチェックすると良いでしょう。
小説であれば、人間心理の複雑さや自分が持っていない視点を。ビジネス書であれば、仕事の奥深さを。教養本からは、自分という存在の小ささを知ることができるでしょう。これらは、自分を含めた世界への理解を深めるのに役立ちます。世界への理解が深まると、利他的になったり、他者の立場を思いやれるようになったりすると思います。これらは、自分の人生を豊かなものにしてくれるはずです。
本を読むことはタイパの面で批判されがちですが、本を読んでいる人にしか出せない雰囲気や紡げない言葉がきっとあります。それらは、タイパをだけを重視しては得られないものなのではないでしょうか。
出不精気味だった私ですが、ありがたいことに、ここ最近行ったことのない場所にたくさん行くことができています。その中で、「この土地にはこんな人がいるんだ」「名古屋と比較するとここは〇〇だなぁ」「全然広告がない場所だ」など、様々な発見がありました。
その度に、ベン図でいうところの自分という集合の円が広がっていくのを感じます。そして、この円が大きいほど、他者の円との共通部分が生まれたり、共通部分が広くなったりするのではないかと考えました。
共通部分を「分かり合える領域」と考えると、円の大きさは非常に重要だといえます。他者と生きることが必須な中で、他者と分かり合える領域が多い方が良いと思うからです。
前項の読書でも、自分の円を広げることはできると思いますが、実際に出かける方が、広がる円の幅は大きいと思います。
また、初めての場所に行くことで、今まで使ってこなかった脳の部位が稼働し、それが無意識のうちに自分の行動に影響を与えているとも感じます。
長い間、人に助けを求めることは、責任放棄や努力不足と言った自分の弱さのあらわれだと思っており、人に頼ることができませんでした。しかし、人に頼ることができなければ、仕事もプライベートもうまく行かないものです。そんな中『頼るスキル 頼られるスキル-吉田 穂波著』を読み、その考えが変わりました。本書の「頼ることは技術だ」という主張には雷に打たれたような衝撃を受けたのを覚えています。
本書によると、頼ることを、「弱い人がする行為」という認識から、「強い人がする行為」という認識に変えることが、頼る技術を獲得するための第一歩と述べられています。詳細は割愛しますが、本書はその他に、有効な頼り方やチームでプロジェクトを進める際の心構えが書かれているため、色々な人におすすめしたい書籍です。
また、頼るだけでなく、頼られることも技術です。チームの中での頼ることへの正しい認識を浸透させたり、普段から誰しもが発言しやすい雰囲気を作ったりすることで頼られられるようになります。
実際に、頼ること=強いことと認識できるようになってから、後輩に仕事をお願いしたり、後輩から仕事をお願いされたりといった動きが活発になり、仕事がスムーズに進み始めたのを感じました。
人間関係は放置すれば自然と疎遠になります。なぜなら、それぞれが自分の生活基盤を築く過程で、共通の時間や関心事が減少していくからです。学校や職場といった強制的な接点がなくなれば、意識的に関係を維持する努力をしない限り、人と人とのつながりは薄れていきます。
そのため、長く付き合いたい人がいるなら、頑張って能動的に行動することが必要だと思います。例えば、
・相手がされて嬉しいことや嫌なことを守る。
・自分から連絡して会う約束をすること。
・最低でも年に1回で良いから連絡をすること、できれば会うこと。
などが挙げられます。
もう一度いいますが、何もしないと人と人は簡単に疎遠になります。「あれだけ仲が良かったのだから関係は自然に続くもの」という幻想を捨てることが大切です。「意識的に育てるもの」として向き合うことで、本当に大切な人との関係を長く保つことができると思います。
これまでの自分をキープするためには努力が必要
去年くらいからでしょうか。ほうれい線がちょっと気になり出しました。慢性的な腰痛が表面化してきました。風邪の治りが遅くなりました。お酒が次の日に残りやすくなりました。随所に老いを感じます。これまでの自分をキープするためには、努力が必要なのだと思い知らされる今日この頃です。老いが悪、若さが善とは決して思いませんが、今までできていたことができなくなったり、今までなかったネガティブな要素が生まれたりするのは悲しいことだと思います。できればこれまでの自分をキープしたい。そのためには、肌や体のケアへの意識を高め、年齢にあった立ち回りをできるかどうかがものをいいます。何もしなくても異常なしで生きて行ける時代は終わったのだと肝に銘じて、努力していくことが必要です。
僕の大好きな矢本さんのブログです
特に直近五年間で学んだことで一番良かったことだと思います。依頼、質問、確認、報告、連絡、相談といったあらゆるコミュニケーションがうまく行かない原因は、その背景や理由、意図を伝えないことです。例えば、「イオンで水を買って来てほしい」と依頼をする時を考えてみます。この依頼に「この辺で一番近いスーパーはイオンのはず。喉が乾いたけど今手が離せないから、何か飲み物を買ってきてほしい」という背景があったとします。これらを伝えないで「イオンで水を買って来てほしい」と依頼すると、依頼を受けた側は「もっと近くに自販機があるがそこの水ではいけないのか」「そもそもなぜ自分で行かないのか」といった疑問や不満を抱いたままイオンに水を買いに行くことになります。
このように、コミュニケーションの発信側が背景、理由、意図を伝えることを怠ると、相手は自分に対してネガティブな印象を持ってしまうでしょう。そして、これが繰り返されると、コミュニケーションが不全になり、関係性が悪化してしまいます。
背景を聞けば良いのでは?と思うかもしれませんが、背景を伝えることは依頼側がやるべきことだと思います。
理由は二つあります。
一つ目は、そうでないと両者が対等な立場にならないからです。依頼する側は依頼するだけなので簡単ですが、依頼を受ける側はそこからミスのないように実働する必要があります。つまり、どちらかというと依頼側の方が手間が少ないのです。それにもかかわらず、背景を伝えるのを怠ったり、相手に背景を聞くのを求めたりするのはやや傲慢だと思います。
二つ目は依頼者に背景を聞くのは依頼者が思うよりも重たい作業だからです。依頼された側は往々にして背景を聞きづらいと思います。背景を聞くという行為は、「あなたの説明不足です」と言っているようなものだからです。ある種、依頼側を否定するようなニュアンスになってしまうので、背景を聞くことは気が重たくなりやすいと思います。この負荷を依頼を受けてくれる人に負わせるのは良くないと考えます。
こうやって書いていくと、背景や意図を伝えるのは当たり前のことのようですが、意外とできている人は少ない印象です。おそらく、これができるかできないかで、周囲の人からの反応は大きく変わります。私自身、このことを強く意識するようになってから、少しずつ周囲の人に信頼してもらえるようになったのを感じました。
そのままですね。かなり高い確率で親の方が先にいなくなります。なので、生きている間に、元気な間にできる限りの親孝行はしたいです。「もっとこうしておけば良かった」みたいな後悔はしたくないですからね。例えば、定期的に顔を見せに行く。たくさん話す。私自身が健康で元気でいる。などなど、難しいことはしなくても十分かと思います。これまで、親とめちゃくちゃ仲が良いわけではなかったからこそ、これから仲良くしていこうと思います。
2024年5月から毎日日記を書いていますがこれが良いです。日記を書き始めて良かったことはたくさんあります。例えば、1日1日の重みが日記を書き始める前後で大きく変わった。前年同日比の自分を確認できる。日記を続けられていることに対して自己肯定感が高まる。このような変化がありました。仕事をしていると、どうしても毎日同じことの繰り返しだと思い込みやすくなります。実際、私は「今月、何したっけ?」と思ったことが多々ありました。日記を書くと、毎日は同じことの繰り返しではないことに気付かされます。そして、人生は有限なので「総じて今日も良い日だった」と思える日が多い方が良いですよね。毎日が良い日だと思えるようにするのは難しいですが、そう思える日を増やすためのツールの1つが日記だと思います。
30代に突入する歳になったからなのか、このように思うようになりました。例えば、 テレビの街頭インタビューで「家族のために仕事頑張ります」と言ってる親御さん達の気持ちがいまいちわかりませんでした。そういった親御さん達に対して、生意気にも私は「いやいや、仕事は自分のために頑張りなさいよ。」と思っていたのですが、その親御さん達の気持ちが今ならわかるような気がします。
具体的に何か大きな出来事があったわけではありません。徐々に、わかるようになってきたのです。おそらくこの心境の変化を経験しているのは私だけではないと思います。あの乙骨憂太も「自分のためだけに生きるのはきっといつか限界が来る。」と言っていますしね。
もちろん個人差はあると思います。世の中を見てみると、人生の終わりまで自分のためだけに頑張り続けられる超人もいます。私はそうではありませんでしたが、それには良いも悪いもなく、ただ考え方が違うだけだと思います。
自分のためだけに頑張れる期間が、心境の変化を経て終わった時に、もう一度頑張るための何かを早めに見つけられると良いですね。自分は見つけられたので、とても運が良いです。
できなかったことができるようになるといった人間的成長は重要だと思いますが、成長は人生において手段でしかありません。
人生の目的は、人それぞれだと思います。思い出をたくさん残すことだったり、大切な人と楽しい時間を過ごすことだったり。そういった目的を忘れて、成長を目的としてしまうと、人生は儚いものになってしまうのではないかと30歳が近づくにつれて考えるようになりました。まだまだひよっこですが、ある程度酸いも甘いも噛み分けてきたからだと思います。
令和ロマンのベンチャー企業を舞台にした漫才に「筋トレ!サウナ!成長ぉ!」というボケがあります(あの漫才もとても好きです)が、私にもこれらを目的として生きていた時期がありました。筋トレをして、サウナに行き、成長することで何を実現したいのか全く頭になく生きていたのです。ああ恥ずかしい。これらをすることが悪いわけでは決してありません。手段が目的となってしまっていたので、良くなかったなと反省しています。
私の周りには、目的を見失わずに、成長することを求めて頑張る人が多数いたおかげで、成長はただの手段であることに気付けました。そういった人達と関われているようにしてきた自分はナイスだと思います。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
20代を振り返ると本当に色々ありました。公務員から転職したり、初めての上京をしたり、めちゃくちゃに働いたり、などなど。
その経験いっこいっこが自分を形作っていると切に感じます。コネクティングドッツみを感じます。
まだまだ未熟者で、ここに書いて来たことをどんな時でもできているわけではありません。まだまだ改善点だらけですが、その改善点は伸び代だと捉えて前向きにやっていこうと思います。
「今が一番楽しい」と思えるように生きるぞー!