ひとりアドベントカレンダー最終日です。
正直めちゃくちゃきつかった。インフルエンザに罹ってしまい中断がありましたが、それでもきつかったです。誰に言われるでもなく勝手に始めて、勝手に苦しんでいたので何をしているのやらという感じですが、途中で辞めずに最後まで到達できてホッとしています。
さて、最終日に何を書こうか考えて、全く筆が進まないので、思いつくままにダラダラ書いていくことにします。つまり、これは誰の何の得にもならない記事です。
突然ですが、ラテン語のメメントモリという言葉をご存知でしょうか。「自分がいつか死ぬことを忘れるな」という意味です。自分に対して言い聞かせるようなニュアンスがあり、他人行儀なところがないので、私はこの言葉が好きです。 日本語で同じ意味の言葉を探してみると「生者必滅(しょうじゃひつめつ)」という言葉がありました。ただその意味は「命あるものは必ず死ぬ」というものらしく、メメントモリほど自分に対して言ってくれている感のない言葉だなと思います。
そういえば、「明日死ぬかもしれない」と「100歳まで死なないかもしれない」そのあわいで生きていると最近よく思います。
あわいとは。『傷のあわい』(宮地尚子著)では以下のように述べられています。
“ふたつのものが交わったり、重なっている領域のことをいう。たとえば、淡水と海水の混じる汽水域。家の内とも外ともつかない縁側。(中略)あわいを漢字で書けば「間」になるが、「あいだ」とは微妙に異なる意味合いを持つ。どちらでもありどちらでもない、どちらの要素も混じり合い、にじみ合っている。”
「明日死ぬかもしれない」と「100歳まで死なないかもしれない」そのどっちつかずの状態で生きていて、生きるのってやはり難しいなぁと感じます。明日死ぬかもしれないと考えると、後悔のないように、お金や健康は私にとって無計画に乱用されるものになるでしょう。でも、100歳まで死なないかもしれないと考えると、お金や健康は私にとって全て計画性の上に運用される味気ないものになると思います。
人生を充実したものにするためには、どちらかに振り切るわけにはいきません。時には無計画に、時には計画的に。どちらかに寄りすぎないように切り替え続ける必要があるでしょう。生きるのって難しい。要はバランスが大事なんだよと言われても、そんなことはわかっているのです。
「明日死ぬかもしれない」に寄り過ぎても「100歳まで死なないかもしれない」に寄り過ぎても良くない。そして、その中間地点でもない。これからも両極のあわいで生きていくのだと思います。どちらの極とも言えない領域を揺蕩うのだと思います。
ただ、揺蕩い続けていては人生の主導権がありません。状態としては揺蕩っていても、主体的に生きるためには何か一つ芯の通った信条みたいなものが必要だと思います。
この点について、朝井リョウさんの正欲の書き出しを一部引用します。
”その”大きなゴール”というものを端的に表現すると、「明日死なないこと」です。 目に入ってくる情報のほとんどは、最終的にはそのゴールに辿り着くための足場です。語学を習得し能力を上げることは人間関係の拡張や収入の向上につながります。健康になることはまさに明日死なないことにつながります。(中略)私たちはいつしか、この街には、明日(歌詞みたいに、「みらい」と読み仮名が振られているイメージの明日、です)死にたくない人たちのために必要な情報が細かく分裂して散らばっていたのだと気付かされます。
それはつまり、この世界が【誰もが「明日、死にたくない」と感じている】という大前提のもとに成り立っていると思われている、ということでもあります”
ハッとさせられました。「そうだ、私は明確に「明日、死にたくない」と思っているのだ」と気づきました。引用部分にもある通り、「明日、死にたくない」は大前提過ぎて、これまで意識することがなかったためです。
「明日、死にたくない」と思うことで、人生の主導権を握れるような気がします。そして、この信条は、先述したメメントモリとも通ずるものがあります。「明日、死にたくない」の中には、自分がいつか死ぬことを忘れていないという意味が含まれているからです。引用部分を読んだ時、自分の中で考えてきたことが繋がった感覚がありました。
(正欲の中で「明日、死にたくない」はあまりポジティブな表現としては使われていませんでした。引用部分はいわゆるフリです。どのようにフリとして使われているかはリンク先をご確認ください)
そのうえで、「明日、死にたくない」と思える理由を見つるけることが重要だと思いました。色々考えましたが、そもそもその理由自体はなんでも良いと思いました。家族でも仕事でも趣味でも行きたい場所でも、「明日、死にたくない」と思えるのであればなんでも良い気がします。大切なのは、その理由を見つけることです。しかし、生きていく中で、おそらくその理由は移り変わっていくと思います。そう思うと、人生とは明日死にたくない理由を見つけ続ける旅なのかもしれないなぁなんてことを考えたりしました。
もしまだその理由を見つけられていない場合は、新しく理由を作ろうとするよりも、その理由をすでに自分は持っていると考えて、見つけ出すことに集中した方がいいかなと思います。明日、死にたくない理由は、きっともうすでに自分の中にあるはずだからです。
いくら頑張っても幸福になれない理由は、幸福の本質が「なる」ではなく「見つける」だから
— 安達裕哉 (@Books_Apps) April 30, 2021
・幸福な人は、自分がいかなる状況でも「幸福である」と信じる力を持っている人
・日常生活の解像度を上げて「こんなことに幸せを感じられる俺って幸福」といえるのが幸福な人なのだhttps://t.co/MxruIomaJe
かなり取り止めもない記事になってしまいました。自分でもどう収集をつければいいかわからなくなってしまったので、時期も考えて僕が思う最強のクリスマスソングを紹介して終わりにしたいと思います。
僕が思う最強のクリスマスソングは、BUMP OF CHICKENの「MerryChristmas」です。これは「待ち望んだクリスマスだ!ハッピー!」という曲ではありません。「色々大変なことはあるけれど、総じてMerryChristmasだなぁ」と思えるそんな曲です。
これでひとりアドベントカレンダーは終了です。おつかれさまでした。